台風21号が発生してから数日過ぎましたが、経路と進路が伊勢湾台風の傾向が類似していることが少し分かりましたのでお知らせします。伊勢湾台風の被害画像を一部交えながら説明したいと思います。
今年の台風は非常に多く例年も多かったんですが、今年も同じような回数で日本列島を横断もしくは縦断しています。
しかも被害状況かひどい所が多く自衛隊の出動も多い気がします・・対策を施さないとダメな時代なのかもしれません。
何もかも便利になり電気や部品人々の持つものが変わっていく事も、被害状況の被害額につながるのではないでしょうか?
伊勢湾台風被害の画像で見る台風21号
そもそも伊勢湾台風とは、どの時代でどの様な台風で被害規模はどのくらいあったのでしょうか?
伊勢湾台風とは?
伊勢湾台風(いせわんたいふう、昭和34年台風第15号、国際名:ヴェラ〔Vera〕)は、1959年(昭和34年)9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、ほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼした台風である。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特に甚大であり、「伊勢湾台風」と呼ばれることとなった
出典元https://ja.wikipedia.org/
この内容から紐も説いていきますと、伊勢湾台風の説明中盤位にあります、甚大な被害とありますが、どのくらいの被害だったのかを伊勢湾台風被害の画像で見る台風21号を確認していきたいと思います。
こちらの映像は、高潮と流木で負傷者660人を出した南区白水住宅一帯を伊勢湾台風被害で水浸しになった画像です。
つい先日の水害被害と変わらない風景だと思います。約60年前で、これ程の被害があるとなりますと、今の時代は全てと言っていい程電気社会なので甚大な被害額になることも想定できます。
昭和34年伊勢湾台風この時代は、車といってもごく限られた身分の人しか乗ることができななかった時代。
食料も終戦後まだ14年しかたっていなかった時代ですから、持ち物も全く違っています。被害総額が1800億円で罹災者総数は当時の人口の20%近くの30万人以上にも及んでいて、災害史上空前の被害であった事もわかっています。
当時の気象予報図ですが、現代と違い流石に画像が粗い事が分かりますが、当時の画像としては最新のシステムを使って居たのではないでしょうか?もしかすると当時の米軍の気象衛星から転用していたものかもしれません。
台風の目をみていても、今の時代には見たことがない程の規模の大きさで、範囲もとてつもなく広いのが分かると思います。今回の台風21号はここまでは大きくはないですが、同じ経路進路を通過すると同規模の被害が被る事も考えられます。
伊勢湾台風で屋根に避難された画像
屋根で夜を過ごす人たちです。
名古屋市に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風の画像です。でも同じ南区地区ですが、学区地区によっては被害状況に違いがあったようです。
大江・明豊中学校区では、高潮によって堀川と山崎川の堤防が決壊したため、長期間浸水し他模様です。
特に道徳新町付近は海抜が0メートルよりも低かった為に、水がひかずに約3メートルも浸水したそうです。
伊勢湾台風の直後、肩までつかる水の中を筏を押して避難する人たち=1959年9月29日、名古屋市南区で
昭和の時代です。昭和34年9月26日紀伊半島の和歌山、奈良県、伊勢湾沿岸の三重県、愛知、岐阜県、を中心に153万人の被害者が出たとされる伊勢湾台風で、明治維新以来の最大な被害をもたらした超大型の台風「伊勢湾台風」でした。
こちらの映像は、被災地に降り続いた雨でしたが、10月5日朝にようやく雨があがったしばらく時間が経ってから、待ち構えていた自衛隊のトラック隊が国道1号を通り、愛知県蟹江町方面に向かう画像です。「1959(昭和34)年10月5日の写真です」
伊勢湾台風の動画をどうぞ
当時の画像としては、綺麗な方だと思います。アナウンスにありますように緊迫したまわりの状況が伺えると思います。
水害は特に早め早めの準備が必要だと思います。少しでも普段見る景色が変わったと思われたら、避難を心掛けたいものです。
2018伊勢湾台風被害の画像で見る台風21号の経路と進路の傾向を紐解く!まとめ
こちらが2018年台風21号の進路経路気象予報図ですが、秋先の9月の1週目にかけて横断していこうとする21号です、早めの準備と避難を心掛けていきたいものです。
普段と違う外の動きを見る違いを感じ取ることが、被害縮小の手がかりになるかもしれませんね。
終わりになりますが、2018伊勢湾台風被害の画像で見る台風21号の経路と進路の傾向を紐解く!をお送りしてきましたがいかがだったでしょうか?
これから週末にかけて、またしても台風が横断若しくは縦断しようとしていますので、台風の備えを事前に済ませておくことが、被害を少なくする手段ではないでしょうか。