25年前の事故によるカルテの内容は..
一昔の事ですが、25年前(平成4年7月23日)に交通事故により3ヶ月間の入院生活を送った事があります。
事故原因は、私が世の中のルールを守らなかった為に起きた交通事故でした。事故当時の記憶が全くなく記憶から覚めたのは、事故日から3日経った夜の事でした。
薄っすら目を覚ますと周りの光景は全く目にしたこともない所でした。一瞬何がどうなっているのか判断がつかず、そして体中が痛くて身動きが取れませんでした。
とある病院の集中治療室の冷たいベットの上に寝そべっている自分が居ました。
身体にはと言うと、左腕のひじには点滴の管が通っており、裸の状態で下半身付近には尿を排出するチューブも付けられ全く動けない自分がいるのを、目を覚ましてからどの位経ったのでしょう・・
何となく現状をつかめるようになっていました。私はとんでもない事故を起こしてこの現状になっているのを把握しました。
暫く時間が経ち分かったの事ですが、右尺骨骨折、両大腿骨骨折その内右の大腿骨は折れ目が縦方向に割れて複雑骨折していたんですね。
それにもかかわらず右膝十字靭帯断裂も後から聞かされました。その現状は両足膝上付近に針金が貫通していて骨と骨を干渉しないように重りを下げて足が宙ぶらりんの状態でした。
その状態が何でなのか記憶も少し喪失している状態でしたので、とても不安でどうにかしてしまいそうな感情を覚えています。
そうこうしている内に女性の看護婦さんが見えて私に話しかけた言葉が「良かったね目を覚まして!」こうつぶやいて頂けました...
私も何を言葉に発したのか覚えていませんでしたが、なにやら今から帰るから早く用意してと、とんでもない事を言葉にした事も暫くたってから婦長さんから打ち明けられました。
その間はどうしていたの?記憶は?
今思うと、記憶が一部分から無くなっていて訳が分からず3,4日経っていて病室のなかに横たわっていました。
もうその頃には記憶のモヤモヤガ晴れてきて現状が分かってきた頃に、表情は心配そうに私を見ている母親と兄弟がそばに居て、
どうしてこの様になった状況を説明を受け絶望したことを記憶します。
そして私に心配を掛けまいと警察が私の血液を採取したことを、ひと月位黙っていてくれた事もとてもありがたかった心遣いでした。少し割愛しましたが、このような本当に人間としてしてはいけない事を、私は犯してしまい来る日も来る日も動揺が隠せませんでした。
その後9時間近くの手術をして頂くのですが、その際に感染したかもしれない病気に対して今回カルテの開示をお願いした次第です。
今だ分からずじまいで、自分自身で確認したいと思い行動に移しました。この病気に関しても自業自得で全て私の責任なので言い訳はいたしません!返ってこんな私にぴったりの試練を与えていただいた人生に最近では感謝でいっぱいです!
カルテを頂きに手術をしていただいた病院に明日いってまいります。
その後の内容は、後日また掲載したいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。
最後まで感謝そしてありがとうございます
skycircle